【七輪陶芸 日々の記録①】初めての七輪陶芸。よくばりは失敗のもと!
2020.04.08
初めての七輪陶芸です(*'▽'*)。
自宅で作りためていたダイジョーブくん7体と小さな花びんが2つ。
先に結果を書いてしまうと、
とりあえず素焼きをやってみよう!と思って焼き始めたのに、好奇心でガンガン焼き続けてしまって、急な熱変化のせいか、全ての作品で亀裂や欠けが起きました。
始めたばっかりなのに、もう自分の堪え性のない性格が悪く影響しています、、。
工程①
七輪に火を起こして(はじめは杉の葉・木片・新聞紙で着火)から、BBQ用の炭に火を移して、その上にかさ上げ用の鉄製の枠を置き、さらにその上にお菓子の缶を置いて、アミをのせ、作品を並べました。
ぎゅうぎゅうすぎです。のせすぎ。
工程②
この状態で30分。炭を足してさらに20分。
お菓子の缶をはずして火に近づけて10分。
工程③
ひとつずつ直火の中へ入れて、炭を足して、七輪の送風口からドライヤーで送風。
こっから真っ赤になるまでガンガン焼いてみた。
結果
・7体のダイジョーブくんのうち、ふたつが耳取れ、ふたつが足取れ、ひとつがツノ取れ、
3つにヒビが入りました。
・花びんはふたつとも亀裂が入りました。
**********************************
原因はいっぱいあります。
まず、焼く量が多すぎでした。ひっくり返すのも一苦労でした。
素焼きから最後火の中に入れる時に、七輪にはひとつかふたつずつしか入らないので、それ以外の作品を一時的に横へ置いてしまって、この時に熱が冷めたのもよくなかったです。
そして後半に炭を足したり、ドライヤー送風をして急に温度を上げたこと。
焼成後に急に冷ましたこと。(水をかけて洗ったら耳が取れた。)
火の中の作品を火バサミでいじくりすぎたこと。(燃えてるのが綺麗で夢中でいじくった。)
もしかしたら使った土が割れやすいのかも、、。
とにかく途中から完全に冷静さを失ってしまいました。
釉薬もかけてないのに一部ガラス化したのを見つけて、驚きと好奇心でいっぱいになって、
失敗上等!!!な気持ちで焼きました。
しまった、失敗した!と思うと同時に、七輪陶芸のあまりの面白さにすっかりはまってました。
●次回気をつけること
・七輪で直火焼きするとき、順番待ちの作品をできるだけずっと火のそばに置いておく。
・お菓子の缶の隙間から熱が逃げるので、菓子缶をくふうする。
最後はお花の中に置いて記念撮影を。
はぁぁぁぁーー、失敗しても、かわいい!!
(つづく)
【七輪陶芸】七輪陶芸で必要なものをまとめてみました。(道具など)
七輪陶芸をするために必要なもの一覧です。
《成型時》
◎粘土
ネットや本の情報を参考に、主に赤荒土を使っています。シャモットという商品も買って粘土に混ぜてみたりもしたけど、ちょっと成型しにくくなります。つぶつぶの見た目も好みじゃなかったので今は使ってません。(※シャモット:耐火性の陶土を高温で焼いて粉状にしたもので、土に混ぜ込むと耐火性があがるらしいよ。)
◎手ろくろ
あったら便利です。気分もあがります。もしなくても木の板に厚紙を置いて真ん中を画鋲で止めることで代用できるそうです。やったことないけど。
◎ヘラとか、木の板とか
いろーんな種類の道具が売ってますが、ほんとに必要なものだけでいいと思います。
私はダイジョーブくんを作るときは、線描べら一本と、ハガキ大の木の板、針(手芸用のとじ針)だけで作っています。あとはちっちゃな、鹿のなめし皮ぐらい。
◎水を入れるボトルと雑巾
粘土をさわるときに必ず必要なのが水です。陶芸教室では洗面器とかボウルに水を張って近くに置いて使うのが一般的ですが、自宅で小さな作品を作るときにはそこまでの水は必要ありません。場所もとるし、水道から机まで運ぶときにこぼす危険性もあるし、後片付けも面倒くさいし。なので私は、ちいさなスプレーボトルに水を入れて使っています。濡らしたい場所にシュッシュッと吹きかけるだけで十分です。あとはきれいな仕上げにしたいときに、なめし皮にスプレーして使います。
この方法をとるようになって、格段に成型作業が楽になりました!
粘土と、道具(線描べら、ハガキ大の木の板、針、なめし皮、スプレーボトル)をかごにまとめておけば、作ろうと思ったときにすぐに取りかかれます。
あ、雑巾だけは使うときにぬらしてください。
雑巾は土を乾燥から防いだり、作りかけの作品にかぶせたり、汚れをふき取ったりに使います。
《焼成時》
◎安心して火を燃やせる場所
七輪陶芸ではこれがあることが大前提です。七輪で焼くといっても、干物を焼くのとは違って、すんごい炎があがりますから。できれば広い庭や土間でされることをおすすめします。あと、ご近所の目というのも結構気になります。囲いを作ったり、消火用の水も用意して、安全第一でするようにしています。
◎ぼろぼろになってもいい七輪
七輪はすごい勢いで劣化します。私の場合、中古の七輪でしたが、8回目の焼成で崩壊しました。
◎炭
七輪陶芸の燃料は炭です。ホームセンターで売っているBBQ用の炭で十分高温になります。ただ、ハゼやすくて、釉薬を施した作品に使うとめっちゃ汚れます。これを解消したくておが備長炭と岩手のなら炭も使ってみましたが、価格との折り合いもあり、今は無施釉でマングローブ炭を使うというところに落ち着いています。炭の使い方はまだまだ実験中。
◎火バサミと手袋
手袋は耐火性のがいいです。それなりのお値段のものをおすすめします。わたしはホームセンターで買った安いのを使ったら、火傷しそうになりました。
◎ドライヤー
送風用です。これは一番安いので十分です。
以上が七輪陶芸で必要なものです。
あとは、お菓子の缶やふた、焼き網など。
おうちにあるものでいろいろ工夫できます。
【七輪陶芸】自宅陶芸で誰もがぶつかる“窯”問題。わたしの場合。
長年陶芸教室で作品を作ってきたわたしは、
焼成はプロがするもの、趣味でやってる人間が手出しする領域じゃない。
と、ずっと思ってきました。
陶芸教室では素焼きも本焼きも、棚に並べておけば自動的に教室のスタッフさんや先生が焼いてくれていたし、(しかも絶対に失敗しない。)一時期陶芸家の友人の陶房で焼いてもらっていた時も、生の作品を置いて帰ったそのあとに、どんな段取りでどんな窯でどれぐらいの時間と労力で焼かれるのか、わたしはまったく知ることがありませんでした。
(今になって思えば、教室であっても興味をもって焼成の様子を見せてもらうことなんでいくらでもできたはずだった、、。)
それが、陶芸教室をやめて、さぁ自宅で作品作るぞ!と決めた途端、急に差し迫った問題として目の前に現れたのです。
「粘土こねて、乾かして、で、どうやって焼くつもり??」と。
成型した粘土を焼いて陶器に変化させるには、1,200度〜1,300度の熱で焼かないといけません。そのためには専用の窯が絶対的に必要で、その窯はいちばん小さなものでも35万円ぐらいすることがわかりました。(カナダ旅行とおんなじ金額!笑 わたしの陶芸の歴史①も見てね)
このことはうすうす分かってはいたものの、なんでもぎりぎりまで追い込まれてから考えようとする癖があるわたしは、窯のことは考えず、粘土だけ手に入れて、見切発車で自宅での作品作りを始めていたのです。
だけどいよいよ真剣に窯のことを考えないといけなくなり、
まずは焼き方についてネットで調べることにしました。
その結果、方法は次の三つに絞られました。
①窯を買う。
②焼成だけさせてもらえる陶芸教室をさがす。
③野焼きまたは七輪で焼く。
まず①についてはいろんな情報をみて、欲しい窯、自宅の電源で使える現実的な窯というのをピックアップしました。各地の窯やさんに中古品の問い合わせをしたり、見積もりを送ってもらったりする中で、いつか買う時はこの窯やさんでこの商品を!!というところまで決めることができました。ただ、いまはその金額を投資する時期じゃないと思ったのと、置く場所の問題もあって購入には至っていません。
②は、探している途中で、なんとなく嫌になり、除外しました。
ということで、いまある環境の中でできることは③の野焼きか七輪しかありません。
幸いに自宅陶芸をはじめる少し前から、某里山に古民家を借りて夫と2拠点暮らしを始めていたので、そっちの家に行けば庭も土間もおまけに七輪もあります。
できるかどうかわからんけど、とにかく今はこれをやってみるしかない!!ということで、実際に七輪陶芸をやっている人のブログをみたり、『すべてができる七輪陶芸』(吉田明 著)という本を読んだりして、七輪での焼成にチャレンジすることにしました。
【自宅陶芸:素焼き】難かしく考えないでだいじょうぶ!失敗しないための4つのポイント。
陶芸で作品を作る工程は、大きく次の4つがあります。
①成型→②乾燥→③素焼き→④本焼き
七輪陶芸の本やブログ記事などを見ていると、
ほとんどの人が、「素焼きがいちばん難かしく大事な工程だ!!!」って書いてありますが、そんなことはありません!
私がこれまで作ってきて思うのは、
「素焼きまではどうにでもなる。丁寧に作れば100%失敗しない!」
というのが実感です。
実際七輪陶芸を始めてから、素焼きで失敗したことはほとんどありません。
あったとしても明らかな原因(触ってて転がったとか)があってのことです。
私が実行している、素焼きを失敗しないための4つのポイントは以下の通りです。
①成型の時に、木の板で叩いて土をしっかり締める。
②厚みが均一になるように作る。
③しっかり乾燥させる。
④素焼きにはじっくり時間をかける。
これに加えて、素焼き時の工夫としては、
●七輪の上にかさ上げできるような鉄製の枠や缶を置いて、遠火で焼き始める。
●アルミホイルで包んで焼く。(作品が汚れないし、熱伝導率が良い気がする)
というようなことをしています。
そして遠火で十分に熱くなったら、少しづつ火の近くに持っていって、
色が変わるまで焼きます。この工程に最低でも1時間かけています。
ちなみにこれは唯一の爆発例。
これは中が空洞でない作品、つまり、土の塊みたいな作品だったので、
一見乾いているようにみえて、中心部に水分が残っていたと思われます。
こんなちっちゃなものでも、爆発音はかなり大きくてびっくりしました。
ま、ダイジョーブくんは爆発してもかわいいんですが。笑
そんなわけで、
ポイントを押さえれば素焼きまではきっとうまくできるよ!というお話でした。
【自宅陶芸:乾燥】土の色が完全に変わるまで、しっかり乾燥させます。
成型ができたらしっかり乾燥させます。
作品を棚にのせ、家族も猫も来ない安全な場所に置いて一週間も放置しておけば十分に乾きますが、作った物の大きさや厚みによるので、様子を見ながら次の工程(素焼き)に移ります。
ちなみに晴れた日には2日で乾くものも、雨降りの日は全く乾きません。
電子レンジで強制乾燥という荒技もあるみたいですが、
失敗したら爆発するらしいので、怖くてやったことがありません。(^^;
やっぱり安全第一ですから!!
乾燥しすぎて困ることはないので、
時間をかけてしっかり乾燥させることをおすすめします。
七輪陶芸では特に乾燥が甘いと爆発の原因になったりしますので。
ちなみに、
冬場なら、石油ストーブが最高にいい仕事をしてくれます。
安全だし、手軽だし、餅も焼けるし、オススメです。
※めちゃめちゃ熱くなるので、取り扱いは手袋か火バサミで!!
あと、生を電子レンジで加熱するのは怖いけど、
ある程度乾いたものをオーブンで焼くこともできます。
これは、素焼き前の状態で持ち運びする必要があった時に、
少しでも割れにくくなるようにと思ってやってみたのですが、、。
効果があったのかどうかはわかりません。
あ、でも、少し焼いてあるから大丈夫、っていう根拠のない安心感を得ることはできます。
ということで、作ってすぐに焼こう!などとは思わずに、
時間をかけて乾燥させることにしています。^ ^
【自宅陶芸:成型】ダイジョーブくんはまんまるのボールから生まれます。
まん丸で、中が空洞で、これ一体どうやって作ってるの??と、よく言われるダイジョーブくんですが、実は器を作るのと同じような手順で作っています。
①まず、手ろくろの中心に小さく丸めた土をのせて、少し平らにします。
②紐作りでお湯呑みのような形を作っていきます。
③ある程度の高さになったら、径をすぼめていきます。
④すぼめてすぼめて上の方の粘土をつまんで、閉じてしまいます。
⑤きれいに均して、木の板で叩き、丸い形にします。
⑥手ろくろから切り離して、下の余分な土を削り、同様に木の板で叩いて丸くします。
⑦手のひらに乗せて、まんまるになるように木の板でぺんぺん叩きます。→乾燥
⑧耳と足を作る→乾燥
⑨ある程度乾いたら目と口をくり抜いて、鼻をつけ、耳と足をひっつけて完成☆
ダイジョーブくんを作っていていちばん快感を覚えるのは、
まんまるのボール状になった時です。
木の板で叩くのは、土を締めるという意味があります。
紐づくりを立ち上げるときも叩きながら。
丸くなってからもしっかり叩いて強い子に仕上げます。
まだ目も開いてない、
耳も鼻も口もついてない、
命が吹き込まれる前の、ただのまんまる。
この先どんな個性を身につけて、どんな人生を送るのか、
どんな表情を見せてくれるのか、楽しみすぎる瞬間です。
【陶芸教室の選び方】私の経験その④→会社の近くの教室へ。仕事帰りの陶芸は良いことだらけでした。(28歳ごろ)
陶芸の歴史その③で、自分のペースで陶芸を楽しみたい気持ちを確認したわたしが次に探したのは、仕事が終わってから行けて、夜のコースがある陶芸教室でした。
幸い、当時勤めていた会社があった南森町の近く、天神橋筋商店街の一角にいい教室があったので、今度はそこに通うようになりました。個人経営だけど、広くて設備も充実してて、生徒さんもたくさんいて、各々好きに作陶するといった感じで、何もかもがちょうどいい塩梅でした。
わたしは陶芸の基本的なことはそれまでにだいたい経験していたので、先生も、「なにかわからないこととかあったら聞いてねー」ぐらいのゆるーい接し方をしてくれたのがとても良かったです。
そしてなぜか、陶芸の歴史その③で同じく生徒さんだった、ある製茶会社の社長さんも、わたしに引っ付いてこの教室に移ってきたので、(この方はストーカーではなくて、わたしの熱烈なファンだった。)他の人と新しくコミュニケーションをとる必要もなく、作陶は自分のペースで黙々とできて、ほんまに、すべてがちょうど、いい塩梅でした。笑
ダイジョーブくんが生まれたのは、この教室に通っていた時でした。
ずっとなんとなく続いていた趣味の陶芸でしたが、実はわたしらしい作品というものができないことが悩みでした。お湯のみもお皿も、あまりきれいな形に作れないし、どう作ってもなんか普通になってしまう。もっと、独創的な、わたしにしか作れないものってなんだろう。もっと楽しいものが作りたい。作ってて、出来上がって、笑っちゃうものが作りたい!!
長年陶芸教室に通ううちに、ただ食器を作ることでは物足りなくなっていたわたしは、この頃からマグカップに顔をつけたり、花瓶に顔をつけたりするようになります。(太陽の塔をイメージしたりして、岡本太郎さんには相当影響をうけています。)当然使いづらいし、なんのために顔がついてるのかわからないし、先生も毎回コメントに困っている様子でした。そのうちに、もう器の部分がなくなって、ただ、笑っている顔がついている置物(=ダイジョーブくん)を作り始めるようになりました。
※この、ダイジョーブくんを作るようになった心因的な理由は、また別カテゴリーで記事にします。
しばらくそんなことを続けていたら、他の生徒さんが、教室の乾燥棚に置かれたわたしの作品を見て笑ってくれるようになったんです。わたしがその作者とわかると、笑いながら「ずっと気になってたんです!これはいったい、なんですか??」と話しかけてくれたりしました。
わたしは気づきました。
わたしが楽しくて、わたしが癒される、ただそのために作っていたのに、見知らぬ誰かまで笑顔にすることができる!!!
これが、ダイジョーブくんにはすごい力があるんだと確信した、最初の出来事でした。
そんな感じで、作陶を楽しんでいたわたし。ここで、会社帰りに陶芸教室に行くことのメリットをいくつか挙げてみると、、、
◎早く教室に行きたいから、昼間の仕事にやる気が出て、がんばれる。
◎夜ご飯を食べる時間がなかったので、お腹が空いた状態で作っていた。つまり、すごい集中できた。
◎教室から家路につく時に感じる、1日の充実感がすごくあった。
◎製茶会社の社長が、毎回豪華な車でわたしを家まで送ってくれた。(これはオマケ)
◎オフィス街にある教室は先生も生徒さんも垢抜けた人が多く、いい影響をうけた。
と、いろいろ良いことだらけでした!
この教室には結婚で神戸に引っ越すまでの数年間通いました。
一口に陶芸教室といってもいろんなタイプがあります。
通いやすさや教室の雰囲気、先生の個性など、実際に行ってみないとわからない部分が多いです。なので、まずは行ってみて、合わなかったら辞めて、また次を探せばいいと思います。
そうやって教室を転々としているうちに、自分がいったい何を大事にしたいのか、何が作りたいのかが、だんだん見えてくる気がするんです。
もし陶芸やってみたいけど、、と悩んでる方がいたら、
わたしの経験が役に立つかわからないけど、参考にしてください。
お読みいただきありがとうございました。^ - ^
【陶芸教室の選び方】私の経験その③→近所の個人作家さんの小さな陶芸教室に通ってわかったこと。(26歳ぐらい)
陶芸の歴史その②でわかった、やっぱり家の近くが一番だ!という結論の通り、今度は家の近くで陶芸教室を探すことになりました。するとそのタイミングで、近所に突然こんな張り紙が!!
「陶芸教室始めます。生徒さん募集中!」
これは、行くしかありません!!!
そこは幹線道路沿いのちいさな一軒家でした。
先生は有田で勉強したのち地元の大阪に戻り、物件を借りて自宅兼陶房を始めたばかりの人。通い始めると、なんともこじんまりとしたアットホームな教室でした。生徒さんは全部で10名ぐらい。この教室には仕事が休みの日曜日に通うことにしました。だいたい毎回3〜4人の固定メンバーがいて、小さなこどもがいるママさんや大きな会社の社長さんなど、普段お話する機会のないような人たちと知り合うことができました。
が、
ちいさな限られたスペースでの作業。
延々と繰り広げられる芸能人の話。
先生の住居兼教室というプライベートも若干見えちゃう環境。
で、次第に窮屈さを感じるようになってしまいます。
その後、仲良くしていた生徒さんが、選挙のお願い電話をかけてきたりしたこともひとつのきっかけになり、この教室もやめることにしたのです。
ちいさな陶芸教室に通ってわかったこと、それは、
わたしはただ土を触りたい、ものづくりがしたいだけ。
小さな教室だと、人間関係がちょっとしんどい。
ということでした。(^_^;)
そうして今度は、残されたもう一つの道、
職場の近所の陶芸教室を探すことになるのです。つづく
【陶芸教室の選び方】私の経験その②→デザイン事務所で働きながら通った、宝塚の陶芸教室。(24歳ぐらい)
陶芸の歴史その①で書いたように、岐阜の製陶所でのアルバイトを終えたわたしは、無事豪華カナダ旅行を満喫し、その後いくつかのデザイン事務所で働くことになります。(専門学校も無事卒業!)
仕事は面白くて、朝から深夜まで働きづめの毎日でしたが、忙しければ忙しいほど、体が土を求めているのがわかりました。
当時はまだパソコン普及前で、携帯電話のかわりにポケベル全盛期。グラフィックデザインもレイアウトも全て手書きだったので、職場の電磁波がつらいとかは無かったのに、、、。そんなアナログな時代だったのに、、、。やっぱりどうしても、土を触りたかったのです。
ということで次にわたしは、職場から通える陶芸教室を探すことにしました。そして仕事先の知人の紹介で行ったのが、兵庫県宝塚市にある教室でした。わたしの家は大阪の南部の堺市、職場は大阪の中心部の長堀橋、で、なぜか教室は兵庫県宝塚市です。
何度も言うようですが、パソコンも携帯も普及前の話です。頼りになるのはタウンページか人づてだけ。今ならネット検索でいくらでも陶芸教室を探すことができるけど、当時は知り合いに紹介してもらえるときいて、遠いことはわかっていながら、すぐにその教室に通うことを決めたのです。
そこはある商業施設内のカルチャーセンターでした。生徒さんのほとんどは暮らしに余裕のありそうな年配の人たち。広くて清潔で、道具もなんでも揃っていました。
確か1年か2年ぐらい通ったはずなのに、ここでの記憶はまったくありません。
なにを作ったのかさえ覚えていません、、。
覚えているのはとにかく遠かったっていうこと。
正社員でデザイナーの仕事をしながら、教室のある日は午後に会社を抜けて宝塚へ。だいたい往復の移動時間も合わせたら4〜5時間ぐらい抜けて、その分夜遅くまで働くという日々でした。もちろん会社の社長には承諾してもらっていました。「仕事はどんなに夜遅くまでかかってもちゃんとやりますんで、陶芸教室行かせてください!!」とお願いして。
今の自分では考えられないほどの押しの強さです。(^_^;)
この教室に通ってわかったこと、それは、
やっぱり家の近くが一番だ!!ということ。
宝塚へは、職場からだと1時間、自宅からだと1時間40分。
往復の交通費と、かかる時間がしんどくなり、今度は家の近くで教室を探すことにしました。つづく。
【陶芸教室の選び方】私の経験その①→岐阜県瑞浪市の製陶所での住み込みアルバイト。(22歳ぐらい)
わたしはダイジョーブくんという陶器の神様を作っていまして、現在50歳なんですが、陶芸というものを始めたのは、22歳の頃でした。
バブル景気真っ只中に短大を卒業し、一般企業に就職したものの、どうしてもデザインの仕事がしたい!という気持ちが捨てきれず、仕事をしながら夜間のデザイン学校に通いはじめて、入社二年目で会社をやめました。それがやめたら一気に気が抜けてしまって、そのデザイン学校も卒業しないまま実家で暮らし、時々日雇いのバイトに行くという日々を送っていました。
そんな暮らしをしていたある日、短大時代の友人の間で、ワーキングホリデーでカナダに居る友達のところにみんなで会いに行こう!!という話が持ち上がり、ぷらぷらしていた私は、急遽その旅行代金を貯めないといけなくなりました。
3ヶ月後に35万円要る!!!
どうしよう、、。
思いついたのは住み込みバイトでした。
「どうせなら、あまりお金を使う場所がない田舎で、住み込みでアルバイトしよう!ずっとやってみたかった、陶芸に関わる仕事を探そう!!」
(子供の頃から土を触ることが大好きで、陶芸をやってみたいと思っていたのです。)
というわけで、アルバイト情報誌を探したら、ホントに製陶所の求人が載ってて、その日のうちに連絡して、翌日には現地へ向かっていました。若い時の行動力って素晴らしいです。(^^;;
そこは大きなお茶碗工場でした。
巨大な機械の端っこから何十キロもありそうな土の塊を投入すると、自動的にお茶碗型に成形されて、それがベルトコンベヤーにのって流れてきます。その流れてくる、まだ粘土状態の半乾きのお茶碗を、10個積み重ねては次の工程へ流すのが私の仕事でした。
朝から夕方まで、大きな機械音の中で、耳栓しながら立ちっぱなしでひたすらお茶碗を積み重ねる。(T ^ T)
わたしの「陶芸に関わる仕事をしよう」という安易な発想は、ある意味見事に叶えられ、また、見事に打ち破られたのでした。
だけどどうしてもやきものの町、岐阜にいる間に陶芸がしたかったので、工場の社長さんに頼み込み、仕事が終わってから通える陶芸教室を紹介してもらって、週二回、工場の軽トラ借りて、真っ暗な山道をふもとの街まで走らせて、その教室に通うことになりました。
それが、わたしが陶芸を始めた第一歩でした。
この時の先生が、本当に優しい良い先生で、3ヶ月しか通えないことを理解してくれたうえで、初心者のわたしに、いろいろな技法を教えてくれたのです。
その後陶芸がますます好きになったのは、この先生のおかげだと思っています。( ´ ▽ ` )
それにしても今思うと、バイトで預かっている若い女の子に、夜に軽トラで山を下り、陶芸教室に行くことを許し受け入れてくれた社長さんが懐の深い人でした。めっちゃ心配かけてたんだろうな。心からありがとうございました。m(_ _)m
この住み込みバイトではいろんな経験ができました。
陶芸はもちろんのこと、
◎夜の山道を、車のライトだけで、しかもミッションの軽トラで、何度もノッキングしながら走ったこと。
◎山道のあまりの暗闇の怖さに、ウォークマンのボリュームを最大にして、尾崎豊の曲をかけて大声で歌いながら、泣きながら運転したこと。
◎住んでいたプレハブにはトイレがなかったので、夜は工場近くにあるトイレの建物まで(汲み取り式)懐中電灯片手に「怖くない、怖くない」と言いながら歩いて行ったこと。
◎隣に住んでた同じくバイトのおっさんが、その後ストーカーと化し、わたしの実家にまで押しかけてきたこと。(後にミルフィーユ事件と呼ばれることになる、このおっさんの行動については、気が向いたら別記事にしようと思います。)
いや、良い経験したな。(⌒-⌒; )
わたしの陶芸の歴史は、こうして始まったのでした。つづく