【陶芸教室の選び方】私の経験その①→岐阜県瑞浪市の製陶所での住み込みアルバイト。(22歳ぐらい)
わたしはダイジョーブくんという陶器の神様を作っていまして、現在50歳なんですが、陶芸というものを始めたのは、22歳の頃でした。
バブル景気真っ只中に短大を卒業し、一般企業に就職したものの、どうしてもデザインの仕事がしたい!という気持ちが捨てきれず、仕事をしながら夜間のデザイン学校に通いはじめて、入社二年目で会社をやめました。それがやめたら一気に気が抜けてしまって、そのデザイン学校も卒業しないまま実家で暮らし、時々日雇いのバイトに行くという日々を送っていました。
そんな暮らしをしていたある日、短大時代の友人の間で、ワーキングホリデーでカナダに居る友達のところにみんなで会いに行こう!!という話が持ち上がり、ぷらぷらしていた私は、急遽その旅行代金を貯めないといけなくなりました。
3ヶ月後に35万円要る!!!
どうしよう、、。
思いついたのは住み込みバイトでした。
「どうせなら、あまりお金を使う場所がない田舎で、住み込みでアルバイトしよう!ずっとやってみたかった、陶芸に関わる仕事を探そう!!」
(子供の頃から土を触ることが大好きで、陶芸をやってみたいと思っていたのです。)
というわけで、アルバイト情報誌を探したら、ホントに製陶所の求人が載ってて、その日のうちに連絡して、翌日には現地へ向かっていました。若い時の行動力って素晴らしいです。(^^;;
そこは大きなお茶碗工場でした。
巨大な機械の端っこから何十キロもありそうな土の塊を投入すると、自動的にお茶碗型に成形されて、それがベルトコンベヤーにのって流れてきます。その流れてくる、まだ粘土状態の半乾きのお茶碗を、10個積み重ねては次の工程へ流すのが私の仕事でした。
朝から夕方まで、大きな機械音の中で、耳栓しながら立ちっぱなしでひたすらお茶碗を積み重ねる。(T ^ T)
わたしの「陶芸に関わる仕事をしよう」という安易な発想は、ある意味見事に叶えられ、また、見事に打ち破られたのでした。
だけどどうしてもやきものの町、岐阜にいる間に陶芸がしたかったので、工場の社長さんに頼み込み、仕事が終わってから通える陶芸教室を紹介してもらって、週二回、工場の軽トラ借りて、真っ暗な山道をふもとの街まで走らせて、その教室に通うことになりました。
それが、わたしが陶芸を始めた第一歩でした。
この時の先生が、本当に優しい良い先生で、3ヶ月しか通えないことを理解してくれたうえで、初心者のわたしに、いろいろな技法を教えてくれたのです。
その後陶芸がますます好きになったのは、この先生のおかげだと思っています。( ´ ▽ ` )
それにしても今思うと、バイトで預かっている若い女の子に、夜に軽トラで山を下り、陶芸教室に行くことを許し受け入れてくれた社長さんが懐の深い人でした。めっちゃ心配かけてたんだろうな。心からありがとうございました。m(_ _)m
この住み込みバイトではいろんな経験ができました。
陶芸はもちろんのこと、
◎夜の山道を、車のライトだけで、しかもミッションの軽トラで、何度もノッキングしながら走ったこと。
◎山道のあまりの暗闇の怖さに、ウォークマンのボリュームを最大にして、尾崎豊の曲をかけて大声で歌いながら、泣きながら運転したこと。
◎住んでいたプレハブにはトイレがなかったので、夜は工場近くにあるトイレの建物まで(汲み取り式)懐中電灯片手に「怖くない、怖くない」と言いながら歩いて行ったこと。
◎隣に住んでた同じくバイトのおっさんが、その後ストーカーと化し、わたしの実家にまで押しかけてきたこと。(後にミルフィーユ事件と呼ばれることになる、このおっさんの行動については、気が向いたら別記事にしようと思います。)
いや、良い経験したな。(⌒-⌒; )
わたしの陶芸の歴史は、こうして始まったのでした。つづく