【自宅陶芸:乾燥】土の色が完全に変わるまで、しっかり乾燥させます。
成型ができたらしっかり乾燥させます。
作品を棚にのせ、家族も猫も来ない安全な場所に置いて一週間も放置しておけば十分に乾きますが、作った物の大きさや厚みによるので、様子を見ながら次の工程(素焼き)に移ります。
ちなみに晴れた日には2日で乾くものも、雨降りの日は全く乾きません。
電子レンジで強制乾燥という荒技もあるみたいですが、
失敗したら爆発するらしいので、怖くてやったことがありません。(^^;
やっぱり安全第一ですから!!
乾燥しすぎて困ることはないので、
時間をかけてしっかり乾燥させることをおすすめします。
七輪陶芸では特に乾燥が甘いと爆発の原因になったりしますので。
ちなみに、
冬場なら、石油ストーブが最高にいい仕事をしてくれます。
安全だし、手軽だし、餅も焼けるし、オススメです。
※めちゃめちゃ熱くなるので、取り扱いは手袋か火バサミで!!
あと、生を電子レンジで加熱するのは怖いけど、
ある程度乾いたものをオーブンで焼くこともできます。
これは、素焼き前の状態で持ち運びする必要があった時に、
少しでも割れにくくなるようにと思ってやってみたのですが、、。
効果があったのかどうかはわかりません。
あ、でも、少し焼いてあるから大丈夫、っていう根拠のない安心感を得ることはできます。
ということで、作ってすぐに焼こう!などとは思わずに、
時間をかけて乾燥させることにしています。^ ^
【自宅陶芸:成型】ダイジョーブくんはまんまるのボールから生まれます。
まん丸で、中が空洞で、これ一体どうやって作ってるの??と、よく言われるダイジョーブくんですが、実は器を作るのと同じような手順で作っています。
①まず、手ろくろの中心に小さく丸めた土をのせて、少し平らにします。
②紐作りでお湯呑みのような形を作っていきます。
③ある程度の高さになったら、径をすぼめていきます。
④すぼめてすぼめて上の方の粘土をつまんで、閉じてしまいます。
⑤きれいに均して、木の板で叩き、丸い形にします。
⑥手ろくろから切り離して、下の余分な土を削り、同様に木の板で叩いて丸くします。
⑦手のひらに乗せて、まんまるになるように木の板でぺんぺん叩きます。→乾燥
⑧耳と足を作る→乾燥
⑨ある程度乾いたら目と口をくり抜いて、鼻をつけ、耳と足をひっつけて完成☆
ダイジョーブくんを作っていていちばん快感を覚えるのは、
まんまるのボール状になった時です。
木の板で叩くのは、土を締めるという意味があります。
紐づくりを立ち上げるときも叩きながら。
丸くなってからもしっかり叩いて強い子に仕上げます。
まだ目も開いてない、
耳も鼻も口もついてない、
命が吹き込まれる前の、ただのまんまる。
この先どんな個性を身につけて、どんな人生を送るのか、
どんな表情を見せてくれるのか、楽しみすぎる瞬間です。
【陶芸教室の選び方】私の経験その④→会社の近くの教室へ。仕事帰りの陶芸は良いことだらけでした。(28歳ごろ)
陶芸の歴史その③で、自分のペースで陶芸を楽しみたい気持ちを確認したわたしが次に探したのは、仕事が終わってから行けて、夜のコースがある陶芸教室でした。
幸い、当時勤めていた会社があった南森町の近く、天神橋筋商店街の一角にいい教室があったので、今度はそこに通うようになりました。個人経営だけど、広くて設備も充実してて、生徒さんもたくさんいて、各々好きに作陶するといった感じで、何もかもがちょうどいい塩梅でした。
わたしは陶芸の基本的なことはそれまでにだいたい経験していたので、先生も、「なにかわからないこととかあったら聞いてねー」ぐらいのゆるーい接し方をしてくれたのがとても良かったです。
そしてなぜか、陶芸の歴史その③で同じく生徒さんだった、ある製茶会社の社長さんも、わたしに引っ付いてこの教室に移ってきたので、(この方はストーカーではなくて、わたしの熱烈なファンだった。)他の人と新しくコミュニケーションをとる必要もなく、作陶は自分のペースで黙々とできて、ほんまに、すべてがちょうど、いい塩梅でした。笑
ダイジョーブくんが生まれたのは、この教室に通っていた時でした。
ずっとなんとなく続いていた趣味の陶芸でしたが、実はわたしらしい作品というものができないことが悩みでした。お湯のみもお皿も、あまりきれいな形に作れないし、どう作ってもなんか普通になってしまう。もっと、独創的な、わたしにしか作れないものってなんだろう。もっと楽しいものが作りたい。作ってて、出来上がって、笑っちゃうものが作りたい!!
長年陶芸教室に通ううちに、ただ食器を作ることでは物足りなくなっていたわたしは、この頃からマグカップに顔をつけたり、花瓶に顔をつけたりするようになります。(太陽の塔をイメージしたりして、岡本太郎さんには相当影響をうけています。)当然使いづらいし、なんのために顔がついてるのかわからないし、先生も毎回コメントに困っている様子でした。そのうちに、もう器の部分がなくなって、ただ、笑っている顔がついている置物(=ダイジョーブくん)を作り始めるようになりました。
※この、ダイジョーブくんを作るようになった心因的な理由は、また別カテゴリーで記事にします。
しばらくそんなことを続けていたら、他の生徒さんが、教室の乾燥棚に置かれたわたしの作品を見て笑ってくれるようになったんです。わたしがその作者とわかると、笑いながら「ずっと気になってたんです!これはいったい、なんですか??」と話しかけてくれたりしました。
わたしは気づきました。
わたしが楽しくて、わたしが癒される、ただそのために作っていたのに、見知らぬ誰かまで笑顔にすることができる!!!
これが、ダイジョーブくんにはすごい力があるんだと確信した、最初の出来事でした。
そんな感じで、作陶を楽しんでいたわたし。ここで、会社帰りに陶芸教室に行くことのメリットをいくつか挙げてみると、、、
◎早く教室に行きたいから、昼間の仕事にやる気が出て、がんばれる。
◎夜ご飯を食べる時間がなかったので、お腹が空いた状態で作っていた。つまり、すごい集中できた。
◎教室から家路につく時に感じる、1日の充実感がすごくあった。
◎製茶会社の社長が、毎回豪華な車でわたしを家まで送ってくれた。(これはオマケ)
◎オフィス街にある教室は先生も生徒さんも垢抜けた人が多く、いい影響をうけた。
と、いろいろ良いことだらけでした!
この教室には結婚で神戸に引っ越すまでの数年間通いました。
一口に陶芸教室といってもいろんなタイプがあります。
通いやすさや教室の雰囲気、先生の個性など、実際に行ってみないとわからない部分が多いです。なので、まずは行ってみて、合わなかったら辞めて、また次を探せばいいと思います。
そうやって教室を転々としているうちに、自分がいったい何を大事にしたいのか、何が作りたいのかが、だんだん見えてくる気がするんです。
もし陶芸やってみたいけど、、と悩んでる方がいたら、
わたしの経験が役に立つかわからないけど、参考にしてください。
お読みいただきありがとうございました。^ - ^
【陶芸教室の選び方】私の経験その③→近所の個人作家さんの小さな陶芸教室に通ってわかったこと。(26歳ぐらい)
陶芸の歴史その②でわかった、やっぱり家の近くが一番だ!という結論の通り、今度は家の近くで陶芸教室を探すことになりました。するとそのタイミングで、近所に突然こんな張り紙が!!
「陶芸教室始めます。生徒さん募集中!」
これは、行くしかありません!!!
そこは幹線道路沿いのちいさな一軒家でした。
先生は有田で勉強したのち地元の大阪に戻り、物件を借りて自宅兼陶房を始めたばかりの人。通い始めると、なんともこじんまりとしたアットホームな教室でした。生徒さんは全部で10名ぐらい。この教室には仕事が休みの日曜日に通うことにしました。だいたい毎回3〜4人の固定メンバーがいて、小さなこどもがいるママさんや大きな会社の社長さんなど、普段お話する機会のないような人たちと知り合うことができました。
が、
ちいさな限られたスペースでの作業。
延々と繰り広げられる芸能人の話。
先生の住居兼教室というプライベートも若干見えちゃう環境。
で、次第に窮屈さを感じるようになってしまいます。
その後、仲良くしていた生徒さんが、選挙のお願い電話をかけてきたりしたこともひとつのきっかけになり、この教室もやめることにしたのです。
ちいさな陶芸教室に通ってわかったこと、それは、
わたしはただ土を触りたい、ものづくりがしたいだけ。
小さな教室だと、人間関係がちょっとしんどい。
ということでした。(^_^;)
そうして今度は、残されたもう一つの道、
職場の近所の陶芸教室を探すことになるのです。つづく
【陶芸教室の選び方】私の経験その②→デザイン事務所で働きながら通った、宝塚の陶芸教室。(24歳ぐらい)
陶芸の歴史その①で書いたように、岐阜の製陶所でのアルバイトを終えたわたしは、無事豪華カナダ旅行を満喫し、その後いくつかのデザイン事務所で働くことになります。(専門学校も無事卒業!)
仕事は面白くて、朝から深夜まで働きづめの毎日でしたが、忙しければ忙しいほど、体が土を求めているのがわかりました。
当時はまだパソコン普及前で、携帯電話のかわりにポケベル全盛期。グラフィックデザインもレイアウトも全て手書きだったので、職場の電磁波がつらいとかは無かったのに、、、。そんなアナログな時代だったのに、、、。やっぱりどうしても、土を触りたかったのです。
ということで次にわたしは、職場から通える陶芸教室を探すことにしました。そして仕事先の知人の紹介で行ったのが、兵庫県宝塚市にある教室でした。わたしの家は大阪の南部の堺市、職場は大阪の中心部の長堀橋、で、なぜか教室は兵庫県宝塚市です。
何度も言うようですが、パソコンも携帯も普及前の話です。頼りになるのはタウンページか人づてだけ。今ならネット検索でいくらでも陶芸教室を探すことができるけど、当時は知り合いに紹介してもらえるときいて、遠いことはわかっていながら、すぐにその教室に通うことを決めたのです。
そこはある商業施設内のカルチャーセンターでした。生徒さんのほとんどは暮らしに余裕のありそうな年配の人たち。広くて清潔で、道具もなんでも揃っていました。
確か1年か2年ぐらい通ったはずなのに、ここでの記憶はまったくありません。
なにを作ったのかさえ覚えていません、、。
覚えているのはとにかく遠かったっていうこと。
正社員でデザイナーの仕事をしながら、教室のある日は午後に会社を抜けて宝塚へ。だいたい往復の移動時間も合わせたら4〜5時間ぐらい抜けて、その分夜遅くまで働くという日々でした。もちろん会社の社長には承諾してもらっていました。「仕事はどんなに夜遅くまでかかってもちゃんとやりますんで、陶芸教室行かせてください!!」とお願いして。
今の自分では考えられないほどの押しの強さです。(^_^;)
この教室に通ってわかったこと、それは、
やっぱり家の近くが一番だ!!ということ。
宝塚へは、職場からだと1時間、自宅からだと1時間40分。
往復の交通費と、かかる時間がしんどくなり、今度は家の近くで教室を探すことにしました。つづく。
【陶芸教室の選び方】私の経験その①→岐阜県瑞浪市の製陶所での住み込みアルバイト。(22歳ぐらい)
わたしはダイジョーブくんという陶器の神様を作っていまして、現在50歳なんですが、陶芸というものを始めたのは、22歳の頃でした。
バブル景気真っ只中に短大を卒業し、一般企業に就職したものの、どうしてもデザインの仕事がしたい!という気持ちが捨てきれず、仕事をしながら夜間のデザイン学校に通いはじめて、入社二年目で会社をやめました。それがやめたら一気に気が抜けてしまって、そのデザイン学校も卒業しないまま実家で暮らし、時々日雇いのバイトに行くという日々を送っていました。
そんな暮らしをしていたある日、短大時代の友人の間で、ワーキングホリデーでカナダに居る友達のところにみんなで会いに行こう!!という話が持ち上がり、ぷらぷらしていた私は、急遽その旅行代金を貯めないといけなくなりました。
3ヶ月後に35万円要る!!!
どうしよう、、。
思いついたのは住み込みバイトでした。
「どうせなら、あまりお金を使う場所がない田舎で、住み込みでアルバイトしよう!ずっとやってみたかった、陶芸に関わる仕事を探そう!!」
(子供の頃から土を触ることが大好きで、陶芸をやってみたいと思っていたのです。)
というわけで、アルバイト情報誌を探したら、ホントに製陶所の求人が載ってて、その日のうちに連絡して、翌日には現地へ向かっていました。若い時の行動力って素晴らしいです。(^^;;
そこは大きなお茶碗工場でした。
巨大な機械の端っこから何十キロもありそうな土の塊を投入すると、自動的にお茶碗型に成形されて、それがベルトコンベヤーにのって流れてきます。その流れてくる、まだ粘土状態の半乾きのお茶碗を、10個積み重ねては次の工程へ流すのが私の仕事でした。
朝から夕方まで、大きな機械音の中で、耳栓しながら立ちっぱなしでひたすらお茶碗を積み重ねる。(T ^ T)
わたしの「陶芸に関わる仕事をしよう」という安易な発想は、ある意味見事に叶えられ、また、見事に打ち破られたのでした。
だけどどうしてもやきものの町、岐阜にいる間に陶芸がしたかったので、工場の社長さんに頼み込み、仕事が終わってから通える陶芸教室を紹介してもらって、週二回、工場の軽トラ借りて、真っ暗な山道をふもとの街まで走らせて、その教室に通うことになりました。
それが、わたしが陶芸を始めた第一歩でした。
この時の先生が、本当に優しい良い先生で、3ヶ月しか通えないことを理解してくれたうえで、初心者のわたしに、いろいろな技法を教えてくれたのです。
その後陶芸がますます好きになったのは、この先生のおかげだと思っています。( ´ ▽ ` )
それにしても今思うと、バイトで預かっている若い女の子に、夜に軽トラで山を下り、陶芸教室に行くことを許し受け入れてくれた社長さんが懐の深い人でした。めっちゃ心配かけてたんだろうな。心からありがとうございました。m(_ _)m
この住み込みバイトではいろんな経験ができました。
陶芸はもちろんのこと、
◎夜の山道を、車のライトだけで、しかもミッションの軽トラで、何度もノッキングしながら走ったこと。
◎山道のあまりの暗闇の怖さに、ウォークマンのボリュームを最大にして、尾崎豊の曲をかけて大声で歌いながら、泣きながら運転したこと。
◎住んでいたプレハブにはトイレがなかったので、夜は工場近くにあるトイレの建物まで(汲み取り式)懐中電灯片手に「怖くない、怖くない」と言いながら歩いて行ったこと。
◎隣に住んでた同じくバイトのおっさんが、その後ストーカーと化し、わたしの実家にまで押しかけてきたこと。(後にミルフィーユ事件と呼ばれることになる、このおっさんの行動については、気が向いたら別記事にしようと思います。)
いや、良い経験したな。(⌒-⌒; )
わたしの陶芸の歴史は、こうして始まったのでした。つづく